1962年関西学院大学法学部卒業。在学中グリークラブ指揮者として全日本合唱コンクール優勝へと導き、高校・大学時代を通じて都合5度の全国優勝を経験することとなった。卒業時、在学中の活動が母校の栄誉を高めたとして大学より「感謝状」を受章。卒業後は新月会(OB合唱団)の常任指揮者に就任。1994年退任するまで在任期間は30年を越えた。その間1970年には関西合唱連盟の推薦を受け全日本合唱コンクール審査員に選任されるなど、合唱界の振興にも貢献した。また1994年、英国ウエールズのスランゴスレン国際音楽祭(Eisteddfod)において新月会を指揮して準優勝に導いた。
2000年7月、JODCの品質管理派遣専門家としてクアラルンプール(KL)へ赴任。それを機にKLグリークラブに籍を置き指揮者として合唱を継続、派遣期間終了後も引き続き在住しヴォイス・インストラクターとして12年間現地で活動した。また、アジア地域7都市(上海、香港、バンコク、シンガポール、ジャカルタ、マニラ、KL)の男声合唱団による合唱祭を企画、実行。合同演奏指揮者、音楽監督として2020年で15回目を迎えている。
2014年帰国後、神戸男声合唱団に加わり、指揮者として活動を続けている。同団において多彩なメンバーと遭遇し、かつて経験したことのない新鮮な環境で日々合唱を楽しんでいる。
1957年、西宮市生まれ。京都大学工学部を卒業。在学中は京都大学グリークラブで指揮者を務める。卒業後は建設機械メーカーに勤務。機械の開発、設計業務に従事している。
合唱との出会いは小学校4年生(9歳)の時のコーラス部。パートはソプラノ。高校、大学進学後も合唱を続けることとなった。2002年より神戸男声で指揮を始め、合唱に馴染みの薄い方にも楽しんでもらえるようなステージ作りを目指した。
週末は、演奏会本番、合唱の練習、演奏会を聞きに行く、声楽のレッスンを受ける、指揮法を習いに行く、楽譜とのにらめっこ等で、音楽漬けの生活が続く。
テナー歌手としては、オペラアリア、カンツォーネを歌う他、オペラにもたびたび出演。
指揮法を斉田好男氏、声楽を故有宗政忠氏、西垣俊郎氏に師事。明石弦楽オペラ会正会員。
1949年西宮市生まれ。京都大学文学部イタリア語イタリア文学専攻卒業。創設間もない京都大学グリークラブで3回生時に学生指揮者。70年安保の時代、学業には早々に見切りをつけ学部卒を機に大手広告代理店に入社。その後博覧会事業、音楽・文化イベント制作など幅広い領域で実績を積む。阪神淡路大震災の折には、かつてイタリアで触れた光の催事を招致し、いまも続く「神戸ルミナリエ」開催に奔走。はじめて点灯できた時には無数の灯りが滲んで見えた。
こうして神戸には浅からぬご縁を感じ神戸男声合唱団に入団。現役時代の知見を活かして外国語の翻訳や印刷物の編集制作に携わるいっぽう、指揮者としては愛唱曲を中心に、団員が楽しみながら練習のできる環境作りに努めている。もちろん、練習後の交友と乾杯は欠かさない。